2021年10月30日土曜日

駅前の演説

武蔵浦和駅前で、様々な政党が演説をしている。
先日、駅前工事の記事で少しふれた立憲民主党代表の枝野幸男氏の演説では、100人程度しか人が集まらなかったようだ。

その数日後、菅義偉前内閣総理大臣が、自民党 田中良生候補の応援演説で来てくれた。
雨だった事もあり、2〜300人程度しか集まらなかった。

どちらも良いことを言っているのだろうけど、演説がどうも面白くない。

小泉進次郎氏も、田中良生候補の応援演説で来てくれた。
彼の話は、なぜかしらついつい聞いてしまう。
なんでそんな話をするんだろうと思いつつ、何かオチがあるに違いないと期待してしまうのだ。
彼の父親(小泉純一郎元内閣総理大臣)もそうだった。理由はわからないが、期待して聞いてしまうのだ。
親子ともに、最後まで聞いても、なんだかよくわからない。ただ面白かったと感じるだけ。
それでも、すごい能力だ。私を含めて、みんなまるで催眠術にでもかかったようになってしまう。

駅前は黒山の人だかり(youtubeで探すと色々見つかる)。
サウスピア(南区役所)は、武蔵浦和駅前にある。
小泉氏が、「終わったら、そのままそこで投票してください」「手ぶらでも投票できます」と言っていた。
「自民党」「田中良生」と書くのではなく、うっかり「小泉進次郎」と期日前投票した人もいたのではないか?

2021年10月29日金曜日

Trick or Treat

ハロウインも定着しつつある。
今月末は土日なので、期待していた子供たちも多いかもしれない。
しかしながらコロナ禍。基本的には、子供たちはまだ予防接種をしていない。
いたずらするつもりが、とんでもないことになるかもしれない。

"Trick or Treat."という言葉がある。
「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ。」と訳される事が多い。
それぞれの単語について、まず"Trick"は、人を騙そうとする企みや、いたずらといった意味がある。
もう一つの"Treat"は、世話をするとか、おもてなしをすると言った意味だ。

ということで「いたずらか?もてなすか?」とか、もっと長々と言えば「いたずらが良いか?さもなくば、おもてなしをするか?」
子供を「おもてなし」するために、お菓子をやる。
だから、意味としては「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ。」になるのだろう。

しかし、個人的には違和感がある。
元の言葉、"Trick or Treat."よく見ると、どちらの単語も"Tr"で始まっている。
リズム感があり、日本語でいうところの、駄洒落になっているように見える。

ここは1つ、日本語も駄洒落として訳すべきだろう。
ということで、

「ろくでなしか?おもてなしか?」

なんてどうだろう。

みんなで、駄洒落になる言葉を考えるのも、また面白いかもね。

2021年10月23日土曜日

散歩

天気も良かったので、プラザウエストまで散歩に行った。
鴻沼川をどんどん下って、ゴミ処理場の前の道を北上して、桜並木を通って行った。

昨日の雨と、今日の陽気。
桜の木から、いい匂いが出ていた。桜餅のあの微妙ないい匂いだ。
ごく最近、下草刈りをしたようで、妙にスッキリしていた。

いい匂と抜けるような青空。いい気分だった。

2021年10月22日金曜日

ペーパータオルは色々

この記事の続きみたいなものかな。
一言で、ペーパータオルと言っても、色々ある。

柔らかくて肌触りが良いけど、吸水力が少なかったり。
吸水力はあるけど、ゴワゴワ&ザラザラだったり。
肌触りが良く、保水力もあるけど、高価だったり。

好みは人それぞれだし、目的もそれぞれだろう。
色々使ってみて、自分にあったものを見つけるのが良い。

先日、事務用品を扱う通販大手(あえて名前は伏せておく)の、無漂白のペーパータオルを買った。
手を拭く以外にも、顔を洗った後で顔を拭いたり、歯を磨いた後で口の周りを拭いたりにもつかっていた。

顔を拭くと、なんか嫌な臭いがした。
以前別のメーカーの無漂白ペーパータオルでは、そのような臭いはしなかった。
「ちょっと臭いだけだろう」そう思って、あまり気にしていなかった。

日中は基本的にマスクを付けている。
そうすると、その臭いがマスク内にこもって、一日中臭い。
寝る頃には、鼻が詰まっていた。「寒暖差が激しいので、風邪をひいたかな?」と思っていた。

朝起きると、口の周りが少し痒くなっていた。
いつもよりも念入りに顔を洗って、ペーパータオルでゴシゴシ拭いた。
やっぱり臭い。それでも気にせず、マスクをしって一日中過ごす。
マスクをしていると、ますます臭い。しかも、ますます痒くなる。

帰宅後、再度顔を洗って、またペーパータオルでゴシゴシ何度も拭いた。
なんかマスクをしていなくても、臭さが続いている気がしてきた。
吐き気もするし、お腹も下し気味だ。寝る頃には、咳も激しくなってきた。
「風邪の症状だろう」と思っていた。
さらに、もう一日、そうして過ごした。
口の周りが痒いのでよく洗い、さらにゴシゴシ拭いた。
鼻の中でずっと嫌な臭いがしていたが、「これもまた風邪の症状だろう」と思っていた。

そして、今日気がついた。
「この嫌な臭いは、ペーパータオルのニオイだ!」
ネットで調べてみると、「くさい」って書いている人が結構いる。
口の周りを何度も拭いて、一日中マスクをして、吸い込み続けていたのだ。

これじゃ、どんなに頑張っても治らないよ。
何日間も吸い込み続けていたので、完全に悪くなってしまった。

いつも「ちょっと臭いぐらい大したこと無い」と考えて放置し、完全に悪くなってから「あれが原因か!」って気づくことが多い。
今回もそれだ。だいぶ吸い込んだ。

完治するのは、数日かかるだろう。
今週末は、ほぼ潰れたかな。

2021/10/23 追記 朝になったら、ほぼ治っていた。
元々怪我が治りやすい体質だから、「大したこと無い」と思いがちで、逆に今回のような事になる。
2005年のハリケーン・カトリーナ後の復興活動で、普段は無害な日和見菌による病気が多数報告された。
結局、量が問題であることが、徐々に解ってきている。一瞬「臭いな」ぐらいなら全く問題ないものでも、長期間に渡り吸い込み続けると、病気になるそうで、普通の菌なので見逃しやすいらしい。
考えてみれば、「におい」はかなり原始的で重要な感覚だ。
不快な「におい」には注意しよう。

天気もいいし、期日前投票に行ってくるかな。
2021/10/24 追記 今日になって、さらに治っていた。嫌なニオイもなくなった。
いつも早めに「治った」「治った」と言って、普通に行動し始めるが、完全に治っていないことが多い。
デング熱に感染した時も、入院していたのは3日。「もう治ったから退院する」と言い張って、退院してしまった(関東でデング熱が流行る数年前の話です)。
病院が嫌いだし、そもそもウチにいるのが嫌なのだ。
貧乏性なのか、何かやってないと落ち着かない。

そういえば、期日前投票に行ってきた。
若者の間で、選挙に行くのが流行っているようだ。
宝くじは買わないと絶対に当たらないのと似て、投票しなければ自分の思う社会には近づかない。
選挙権を行使しよう。

鼻をかむとまだ少し血が混ざるが、明日には良くなっているだろう。

2021年10月17日日曜日

生活様式

子供の頃、剣道をやっていたので、板の間でも正座するのはそんなに辛くはなかった。
長時間していれば、足は痺れたが、痛みは感じなかった。
しかしながら、もう数十年まともに正座していない。

昨日10/16(土)14:00〜 マンションの大規模改修工事の話し合いのため、近所の公民館に住民が集まった。 普段の住民総会では参加者は多くないが、今回はすごい人数が集まった。
女性も多かった。夫婦で参加しているようだ。
大規模改修となれば、ベランダも工事が入る。洗濯物や植木を気にする主婦も多いだろう。
いつもの総会では、テーブルと椅子のある部屋を借りるのに、今回は何故か和室だった。
しかも人数が多く、部屋に入りきらない。
開始5分前に到着したのだが、畳の上は満席状態だった。上がり框(かまち)的な板の間部分に座った。

10年ぐらい前から健康のため走り込みをするようなった。ふくらはぎの筋肉が大きくなり、正座ができなくなっていた。それどころか、俗に言う「ウンチング・スタイル」もできない。だからしばらく、正座も、ウンチング・スタイルも、あぐらもしなかった。

コロナ禍で走り込みを休むと、ふくらはぎが細くなっていた。ウンチング・スタイルも正座も、その姿勢をすることはできるのだが、走り込みにより骨格も変化したようで、骨が床面にグリグリして痛む。
あぐらをかいても、くるぶしがグリグリする。座布団でもあれば良いのだが…。

IKEAのIVAR椅子は、高めで座りやすい。そして、立ち上がりやすい。
椅子での生活にすっかり慣れてしまったようだ。

大規模改修工事の養生で、この冬は暗い事になるだろう…。
北欧の生活のつもりで、暗い冬を楽しもう。ヒュッゲのような。
椅子での生活に慣れたように、薄暗い冬も楽しめるはずだ。

2021年10月15日金曜日

街のにぎわい

「人が多いのが苦手だ」と、感じている人は少なくはないだろう。
かく言う私もそうだ。
人混みの中を移動するだけで疲れる。

東京は人が多いのですごく疲れる。絶対に居住は無理だと感じる。
八百八町の江戸の頃から、メガロポリス。
そこで生まれて育った人には、何の苦労も無いのだろう。
まるで簡単な事のように、「しんちゃんも東京に住めよ。」と言われることは多い。「東京は住みにくい。」と答えても、なかなか解ってもらえない。

緊急事態宣言中こそ、ほっとしていた人も少なくは無いだろう。
長期のマスクによって、素顔がさらせない人もいるらしい。

買物に行くと、人の多さが辛い。
にぎわいが戻るのは良いが、なにか窮屈だ。

少しずつ。一歩ずつ。慣れていこう。

2021年10月12日火曜日

常温核融合

およそ30年前。
まだ学生だった頃、常温核融合のニュースが世界を飛び交った。

まず、核融合についておさらい。
原子核同士を近づけていき、ある限界を超えると原子核が融合し、別の核種に変化する現象だ。
融合する時に、熱が発生する。

原子核を近づけると言っても、原子核はプラスの電荷をもっているため、クーロン力で反発し合う。そのため、核融合が起きるほど近づけるのは困難だ。
太陽で起きている核融合は、高温高圧の環境のため、狭い範囲で原子核が激しく動き回り、クーロン力に打ち勝って衝突する。
その環境を地球上で再現するのは、非常に難しい。

常温核融合は、水素吸蔵合金として使われるパラジウムを使う。
パラジウムは、液体水素よりも高密度に水素を吸着する。
そのため、非常に狭い範囲に水素原子が集まることになる。
それらが何かのきっかけで、核融合を起こすという説だった。

30年前、追試が行われたが、現象が再現できず「エセ科学」扱いとなった。
そのため、普通の研究者が手を出すと、研究の場から追い出されるようなタブー扱いになっていた。

ごく一部の人はそれでも研究を続け、十数年前に「新たな知見が得られた」というニュース記事を読んで、某大学の大学院で過去に化学をやっていた知人に話したら、「常温核融合について話すと、研究者人生を捨てることになる」と言って、聞こうとはしなかった。
科学者にとってダブーであることは解っていたので、それ以上話すことをやめた。
(ちなみに、私は技術者だから話すぐらいなら問題ない)

紆余曲折あったが、その後も研究は進んでおり「量子水素エネルギー」と名前を変えて、成果が出始めている。
(詳しくは、検索してみて)
いつのまにやら、すごいことになっていた。
実用化されれば、エネルギー問題を一気に解決することになるかもしれない。

そうなれば、世界が変わる。

2021年10月10日日曜日

武蔵浦和西口駅前K's電気跡地の再開発工事#5

午後に買物に行ったついでに、武蔵浦和駅前の工事現場を撮影した。

水は何とかなったようで、大きな穴が掘られている。

買物の前に武蔵浦和駅の改札前に行ったら、人が集まっていた。
駅内放送がガンガン流れているのが、駅の外にも漏れて聞こえてくる。
みんな電話したりスマホを操作したりしていた。少しイライラしているようだった。
運行状況のLCD表示板を見ると、東京全体と、神奈川、埼玉、千葉の一部のJRが赤く表示されていた。

いわば首都の重要な部分のJR路線が麻痺しているようだった。
蕨市の変電所の火災が原因らしい。さっきニュースで知った。

それと、15:45から西口駅前で、立憲民主党の枝野幸男氏の演説が予定されているようだった。
買物が終わって、駅前に戻ってきたら民主党関係者が西口に集まっていた。
SPっぽい男も数人いた。いざという時のために、階段や通路などを、ぐるっと回って確認しているようだった。
体の大きい私は、しばしば職質を受ける。
面倒な事になると嫌なので、できるだけ気配を消して、演説が始まる1時間前にとっとと帰った。

武蔵浦和西口駅前K's電気跡地の再開発工事
武蔵浦和西口駅前K's電気跡地の再開発工事#2
武蔵浦和西口駅前K's電気跡地の再開発工事#3
武蔵浦和西口駅前K's電気跡地の再開発工事#4
武蔵浦和西口駅前K's電気跡地の再開発工事#5

やっとドン・キホーテへ行ってきた

半年以上前にOpenした近所のMEGAドン・キホーテへやっと行ってきた。
ドン・キホーテと言うと、浦和では十数年前色々あったので、積極的にはなれなかった。
とはいえ、与野のドイトがドンキになった後でドイト目的で行ったり、大宮でダイソーに行ったついでにドンキに入ったりはしていた。
この十数年で、3回ぐらいは行っていた。

魚は無かったが、お肉でもなんでもある。
超巨大なチキンカツがあった。こんなことまでも、MEGAなのか?
このチキンカツ丼を作るには大きすぎるし、仮にフライパンで作ったとしても、最近ではすっかり食欲も落ちた。
食べ切らないだろう。

粉チーズと、オリーブ油を買ってきた。
ごちゃごちゃしているので、体の大きな私は、店何では常に緊張している。
お店を出ると、どっと疲れが出た。

次に行くとしたら、何年後だろう…。
「ドン・キホーテ」には、ロバが出てきたと記憶していたので、だから「ドンキー」なのだと思っていた。
しかしよく見ると、「ドン」「キホーテ」になっている(半年前の記事でもそのように書いている)。
「ドン」="Don"は、スペイン語やポルトガル語で、男性への尊称なので、ドンキーとは関係なさそうだ。
スペイン語の影響を受けているビサヤ語(セブアノ語とも。フィリピン南部の言語)でも、「ドン」は男性に声をかける時に使う。
そうなると、名前は「キホーテ」であり、ロバとは全く関係ない。

日本語は音が少ないため、結果的にかぶる言葉が多くダジャレが多いと言われている。
スペイン語は、日本語並かそれ以上に音が少ない(LとRの区別はある)と言われているので、「ドン・キホーテ="Don Quijote"」がドンキーのダジャレ的なモノの可能性があると思うかもしれない。しかし、ドンキーは英語だし、出版は1605年なので産業革命以前だ。英語はまだマイナーな言語で、むしろラテン語の方が圧倒的にメジャーだ。
その可能性は無いと言っていいだろう。

やたらとペンギンの絵が書いてあったが、あれはどういう「つながり」なんだろう?
人は何にでも意味を求めがちだ(それが原因で「ドンキー」という勘違いをする)。
そこに意味は無いのかもしれない。

2021年10月8日金曜日

地震がつづく。

おととい(10/6)の朝に青森(岩手県北東沖)で、夕方に九州(大隅半島南東沖)で比較的大きな地震があった。
冗談で「次は東京かも」なんて言っている昨日(10/7)、千葉県を震源とする地震が発生した。
東京都&埼玉県で震度5+の地震になった。

ウチはさいたま市なので、震度4だった。
震度4になるのは、3.11以来かな?それくらいめったに無い。
大宮台地のおかげだろう。
(大宮台地は少なくとも縄文時代から陸であり、地盤がしっかりしている)。

揺れが大きかったので最初はびっくりしたが、3.11とは違ってすぐに収まった。
なんか気分が引き締まった。

2021年10月3日日曜日

久しぶりに大瀬崎で潜ってきた

緊急事態が明けたので、大瀬崎に潜りに行ってきた。

久しぶりなので、何もかもが新鮮。

水中の写真は無い。
写真は下手くそなので、良い写真を取ろうとすると、どうも楽しめない。
最初のうちは、努力ししていれば楽しくなるだろうと思っていた。
しかし、一生懸命やればやるほど海を楽しめなくなる。

以前使っていたカメラもまだ一応動くので、水中写真を撮ろうと思えば撮れる。
このカメラは高かったのだが、10年使うならこれでも良いだろうと思って買った。
しかし、故障してしまった。
新しいカメラを購入することを検討したこともあったが、当初予定したとおり10年は新しいカメラを買わないことにした。
(貧乏生活を乗り越えるための知恵の一つ。「計画的に行動する」という生き方が馴染んでいる)
そして、今年の6月で10年になった。
「本当に写真を撮りたいのか?」と自問自答した。
コロナ前から、もう何年も撮影していないので、すっかり撮りたいとは思わなくなっていた。
むしろ海をもっと感じたいという気持ちが強くなっていたのだ。

もう水中カメラは買わないだろう。水中撮影もしないだろう。
レンタル品でもあれば、たまに使うこともあるかもしれないが。

帰りに、沼津漁港の「丸天(新しい方)」で食事をした。
数年前から食が細くなっており、今年、最後の親知らずを抜いたせいか、すっかり食欲が落ちた。
結局、中トロ握りを食べた。

帰りに、事故渋滞に2箇所で巻き込まれそうになった。
しかしながら、どちらの事故も大渋滞となる前に通過できた。
久しぶりだったので、渋滞すら不謹慎ながら何かワクワクしてしまっていた。
50才を越えたオヤジでもそうだ。

この夏の緊急事態宣言、感性の敏感な時期の若者たちは、本当に辛かっただろう。

2021年10月2日土曜日

1つ1つ解決していく

4度めの緊急事態宣言も明けた。
それでも、マスク&手洗いは続けたほうが良い。

トイレのたびに手を洗っていると、手を拭くタオルが湿っぽくなる。
まだ夏になる前、このままではタオル掛け周りにカビが発生するかもしれないと思った。

というわけで、使い捨てのペーパータオルを買ってきて使うようにした。
当初、ペーパータオルは洗面台のわきに置いていた。

ところが、洗面台で手を洗っていると、水がはねてペーパータオルが塗れてしまうことがあった。
これまた衛生的ではない。

というわけで、タオル掛けの上にダンボールで作成した「ペーパタオル置き場」を設置した。
タオル掛けに乗っかっているので、安定している。ペーパータオルの重さぐらいなら、充分に支えられる。
これではねた水がかかることは無くなった。

しばらく使っていると、今度は別の問題が生じた。
通常は、ペーパータオルを引き出した後で、自動的に次のペーパータオルが少し引き出された状態になる。
しかし、残量が少なくなってくるとそれがうまくいかなくなる。
ビニールの包が軽すぎて、引き上げられた状態になり、ペーパータオルだけ包の中に戻ってしまうのだ。
(言葉ではうまく説明できない)
戻ってしまってもその都度引き出せば良さそうだが、ペーパータオルを使いたい時は、手は濡れている。
濡れた手でペーパータオルを出そうとすると、残りのペーパータオルまで濡れてしまう。
ペーパータオルに触れる前に、手を拭けばいいが、これでは本末転倒だ。

包が軽すぎるのが良くない。
というわけで、包の口の縁に、マスキングテープで小銭をいくつか貼り付けた。
これで、確実に次のペーパータオルが少し引き出された状態になった。

それでしばらく使っていたのだが、問題が生じた。
というか、小銭の貼り直しが面倒に感じるようになってきた。
ペーパータオルが無くなるたびに、マスキングテープを剥がして、新しい包に貼り直す。
些細なことだが、何度かやると面倒になってきた。

というわけで、ペーパータオルの包の上に「押え板」をおくことにした。
重すぎると取り出しにくい。軽すぎれば意味がない。
一般的な木の板では重すぎるが、ダンボールでは軽すぎる。
100円均一で買った「すのこ」は、桐でできていて軽い。
その「すのこ」をばらして、貼り合わせて作成した。
重さは50g。重くしたければ、この押え板に小銭を貼り付ければいい。

しばらく使っているが、今の所問題ない。


おっちょこちょいなので、面倒な事は、事前に単純化しておこうとする。
考えてみれば、子供の頃から、そうして工夫してきた。

時々、人から「何をやっても楽そうに見える」と言われるときがある。
多くの人が苦労して行うことも、あっさりと終わらせてしまうせいで、楽に見えるのだろう。
特に仕事では治具の開発をどんどん行う。毎年数本、多いときでは十数本の治具をプログラムする(改良も含む)。
その治具のおかげで、年々環境は良くなる。
そのため、楽になっていくのだ。

ソフトウエアだけではない。
この「ペーパータオル置き場」もそうだ。
面倒な事柄を放置せずに継続的に対策をしていけば、だんだん環境は良くなる。
「あれができれば、…」「これができれば、…」って、できないことを望んでもしょうがない。
できる範囲で、解決していく。
あとは、それを継続していけばいい。継続が力になる。