2020年5月29日金曜日

アベノマスクが届いた

やっとウチにもアベノマスクが届いた。


表面上汚れやカビは見られない(封は開けていない)。
紙のマスクを洗いながら使っているし、無印良品の布のマスクも買ってしまったので、もはや必要ない。
サウスピア(南区役所)で、布のマスクの寄付を受け付けているらしい。

「市場が値段を決める」という、もっともらしい言い訳で、何でもかんでも値段を釣り上げる人がいる。
ケチなだけだと思うが、それぞれの考え方だ。

私にとっては、もう価値のないものだが、必要としている人もいる。
寄付してこよう。

コロナの収束は、市民の努力が功を奏しただけで、政府のおかげではないという意見も多い。
しかし、安倍首相が、あのかっこ悪い、使いにくそうな「アベノマスク」(対して、東京都知事のマスクは毎日オシャレ)を使い続けたことは、「ダサくても、なんでも、とにかくマスクを着用しよう」という意識を広げる事になったように思う。
世界の指導者の中には、マスクを着用しない人もいる事を考えると、これは評価してもいいよね。

2020年5月25日月曜日

空気を読む。

「空気を読む。」事に成功したのか?
何はともあれ、緊急事態宣言は解除された。

海外では、「不思議な事に、日本のコロナ対策は成功した」と言われ始めている。
封じ込めに成功した国の指導者の多くは賞賛されているが、日本は少し違っているように感じる。

いろいろなニュース記事を読み直していて、ハーバード卒のお笑い芸人「パックン」のこの記事が、今のこの状態を予想していたように読める。
パックン、すごいな。

2020年5月24日日曜日

勝って兜の緒を締めよう

緊急事態宣言は解除になりそうだ。
とはいえ、今日、東京都で検出された新たな感染者は、14人だ。

解除と言っても、去年のように行動できるわけではない。
基本的には、ここ数カ月続けてきた生活を続ける。
うがい手洗い。3蜜を避ける。マスクの着用。

新しい世界が始まる。終わりではない。

2020年5月23日土曜日

新型コロナ、日本で少ないのはなぜ?

日本での新型コロナウイルス(の第一波)が収束しそうだ。
来週早々(5/25)にも、首都圏の緊急事態宣言が解除されようとしている。
この記事にも書いたが、東京の2週間後はNYと言われていたのに、そうはならなかった。

都市封鎖することなく、感染者の把握も充分ではない。日本国政府の対策も後手後手だ。
中国との経済的つながりも強く、観光客も多い。新型コロナウイルス感染者の出たダイアモンド・プリンセス号も押し付けられた。
普通に考えれば、爆発的に感染者が増え、医療崩壊を起こす。
それなのに、収束つつある。そのため、数字を隠しているという噂もある。

確かに、PCR検査が少なければ、数字の誤差は増えるだろう。
逆に、検査数を増やせば、誤差は減るだろう。
とはいえ、たとえば先週検査をしたから、来週も大丈夫と言えるか?来月や再来月は?
検査しても、その後に感染するかもしれない。それは次に検査するまでは判明しない。

すなわち、どんなに検査を増やしても、検査に引っかからない感染者がいるのだ。
また、どんな測定でも誤差があるし、人は必ずミスをする。
そこに「数字を隠す」ということまで加えると、「PCR検査が少ないから」なんて、どれだけ意味がある?

感染爆発の圧力がこれほどにまで強い地域は、世界的に珍しいかもしれない。
なのに、収束しつつある。日本で新型コロナウイルスが抑えられているのは、何故だろう?
以下は、個人的な意見である。

おそらく、市民一人一人、各個人の危機管理レベルが高い時期だったのだ。
まず、基本的なところから。
日本は4月入学であり、2月は受験の時期でもある。大事な受験の前に風邪をひくわけにはいかないので、受験生を持つ家族は、年末年始を楽しみながらも、注意は怠らない。

そして、日本は近年、毎年のように大規模な災害にあっている。特に去年の台風15号の千葉県の被害は甚大で、年明け後には応急処置のブルーシートの老朽化が問題になり、ニュースで流れていた。
さらに、去年の12月、NHKで「体感首都直下」という科学的知見に基づいた極めてリアルなドラマがメディアミックス形式で放送されていた(見ていて、怖くなるほどのリアル感)。

2月には、クルーズ船「ダイアモンド・プリンセス」が日本に押し付けられ、目の前で感染が広がり、死んでいく状況がリアル報道された。
3月になれば、3.11の記録映像が繰り返し流れる。

おそらく、日本で生活をする多くの人が、無意識のうちに「危機」に対して、敏感になっていた。それがひたすら続いている。
そのため、この記事「新型コロにゃんウイルス」に書いたように、大流行しそうだったインフルエンザですら押さえ込んでしまったとも考えられる。

無意識とはいえ、連続した緊張感のため、桜の季節には多少緩んでしまった(四季を愛でるのも日本文化だから、多少はしょうがない)。
そのせいで、一時的に感染の拡大がおきた。
しかし、基本的には危機対応モードになっている。3月末では失敗したが、ゴールデンウイークの連休では、失敗しなかった。

どんなに悪い政策でも、市民が努力をすれば社会は良くなる。
政策面をどんなに調べても、その答えは見つからないかもしれない。

2020年5月17日日曜日

海に行きたいな。

今日は、良い天気。
ビタミンDは、免疫力を高めるらしい。午前中自宅ベランダにて、パンツ一丁で日光浴をした。
直射日光を浴びると、パンツ一丁でも、汗が出る。
こんな日は海がいい。

最後に潜ったのは、今年の1月18日。
それから、4ヶ月も経ってしまった。
考えてみると、こんなに長い期間海に入らないのは、何年ぶりだろう。

ほぼ毎月海に入っていたので、塩ガミは無いだろうと思っていた。しかし、4ヶ月も使わないと、流石に調子がわるくなるかもしれない。
どうせ潜れないので、レギをオーバホールに出した。
マウスピースもちぎれかかっていたし、最後にオーバホールしてから100本ぐらいは潜っているので、そろそろだった。
混み合っていて、3〜4週間かかるらしい。
みんな考えることは同じなのかな。

緊急事態宣言が解除されるまでは、都道府県をまたぐ移動はしないほうが良い。
今は、日光浴で勘弁してやろう。

2020年5月15日金曜日

活動再開

一部の地域を残して、緊急事態宣言の解除が行われた。

ニュースで「前のように戻るのか、不安だ。」のような事を言っている人が映っていた。
残念ながら、すぐに昔のようには戻らないだろう。
というか、戻るべきではない。
完全に戻れば、新型コロナウイルス禍もまた戻ってくる。繰り返すことになる。

戻るのではなく、前に進むのだ。
新たな生活や活動を、新型コロナウイルスありきで考えるべきだ。

交通網の発展で世界が狭くなり、さらに人口も爆発的に増えている。
効率化のために都市部に人口が集中するようになった。
人が多ければ、助け合いやサービス産業も増え、ますます発展していく。
この新型コロナウイルスは、そうした環境、3蜜環境に適応したウイルスのように見える。

みんなで協力し合うことは、素晴らしいことだ。
これを残しつつ、接触は減らさないといけない。
そういうことで、テレワーク、リモート飲み会、デリバリサービス等が伸びている。

居酒屋等で行われていた「呑みニケーション」は重要な日本文化だ。
しかし、狭いところでの飲食は、集団免疫が獲得されるまでは、危険だ。
だから、リモート飲み会が増えている。
居酒屋でも、リモート飲み会+デリバリを取り込むことで、新しい世界に対応できるかもしれない。
店舗にリモート飲み会端末を置いたり、花見のときのように公園で飲み会をして、そこに食事をデリバリしたり、フードワゴンで営業したり。

言うだけなら簡単だが、実際にやるとなると様々な問題があるだろう。
とはいえ、問題があるからこそ、先に進出してノウハウを蓄積できれば、力になる。
元に戻るのではなく、前に進もう。

とはいえ、都市部に集中しすぎと感じている人も少なくはないだろう。
テレワークが進めば、地方への人口流出があるだろう。去年はバブル期並に都市部の不動産の値段が上がっていたらしい。
去年のうちに売り抜けていた人は、運が良い人だ。
バブル崩壊が始まるかもしれないから。

2020年5月10日日曜日

見えない作業への評価

自宅で仕事をすることが、20年前頃から時々ある。

1人で生きていかなければならないため、リスクマネジメントは重要だ。
私は、商才に恵まれた家系に生まれながら商才がなく(すなわちバカ息子)、技術の道に進んだ。
(親父の失敗を見て、商売で身を立てる道を避けたというのもある)
商才はないのだが、いつも偶然に危機を避けてきている。危機に対する直感が働く。
3.11の時も、その日は偶然に自宅近くにいた。
去年、感染症が気になって、お客さんと話したりもしていた(笑われたけど)。

モノを作っていても、危機はある。
「未知の危機」に対して指摘をしても、経験がないと「そんなことあるわけない」となって、無視されてしまう。
実際に、実体化、問題化したときには、損害となる。
「だから言ったじゃん」と言っても問題が解決されるわけではない。というわけで、いつも最大限の努力をして解決する。
実害を最小限にしているので、周りから評価されることは少ない。
それどころか、大げさに言っているとか、自分で問題を作ったみたいに言われることすらある。
全く話にならないと感じたのは、私が事前に言っておいたのに、そのお客さんから「あなたは、そういう意味では言ってなかった。」と言われたときだ。こっちは、そういう意味で言っていたのに、そういう意味として聞かなかっただけなのに。

特に、事前にヤバそうな部分を徹底的に習得しておいたり、リスクを最小化する手法を選んでおいたりして、完全に危機を回避してしまっている場合、全く評価されない。
おそらく、傍から見ているとあっさりと終わらせているので、「簡単な仕事をした」「楽な事しかしていない」みたい思われるだろう。
場合によると、それらはマイナスの評価となる。

もの凄くうまくやれているのに、なんかおかしい。

逆に「仕事をしないほうが出世する」という言葉もある。
どんな作業であれ、神様じゃないんだから失敗はあるものだ(私はおっちょこちょいなので、細かい失敗は山のようにある)。
失敗は見えやすい。そのため、マイナスの評価は増えやすいのだ。
だから、そのような言葉が生まれたのだろう。

仕事を簡単にあっさりと終わらせた事を、それらと一緒にしてはいけない。
間違いなく何かをやっているし、結果を残している。
他に例がないのに、あっさり終わらせていたとしたら、それはすごいことだ。

ながびく緊急事態宣言のため、景気の低迷が指摘され始めた。
ウチは、線路沿いにあり、居ながらにして電車の混み具合がある程度解る。
ゴールデンウイーク明けから、電車が混んでいる。
いつ解雇されるかわからない状態。
「自分は仕事をしているアピール」をするためだけに、職場に向かう人も多いらしい。

正しい評価システムが無い。そう思っている人が少なくはないから「アピール」をする人もいるのだ。
社会主義は、怠けていても食っていけるということで、廃れていった。
だからといって、監視を強めれば閉鎖的な社会となり、活気が失われて、さらに廃れる。

コロナウイルス後の新しい世界は、仕事に対する評価が正当に行われる世界かもしれない。
どうすれば良いのかは、誰にもわからない。
少なくとも今は。

2020年5月6日水曜日

よく考えよう

コロナビールを買ってきた。

近所のKALDIで、大量に売られていたので、思わず買ってきた。
名前に「コロナ」という言葉があるために、売れてないらしい。

コロナビールは、新型コロナウイルスと、何も関係ないのに。
これは、明確な「コロナ差別」だ。
私は馬鹿であるが、流石にそれぐらいは解る。

同様な差別的行為として、医療従事者やコロナ感染者に対する差別もあるらしい。
手洗いや3蜜を避けることを徹底することが重要だといわれている。差別は含まれていない。
(この人のようにまるで他の人にうつそうとしているような人もいるけど…。)
全地球規模に広まってしまった新型コロナウイルスは、もう封じ込めはできないだろう。
おそらく、季節性の風邪やインフルエンザのように、毎年流行ることになる。そして、徐々に集団免疫が獲得され、流行が抑えられていくようになる。
別の言い方をすると、将来は感染者が当たり前になる。もはや、去年の状態には戻れない。

怖いのは解る。
しかし、最前線で頑張っている医療関係者を差別して、何になる?
逆に、頑張って抑えてくれている人がいなくなったら、それこそ「コロナの思う壺」だ。

コロナの思う壺よりも、コロナビールの瓶が溜まったほうがいいかも。

2020年5月1日金曜日

出口が見えない困難

子供の頃から30才ぐらいまでは、基本的にずっと貧乏だった。
親が建設会社を経営していたため、田中角栄の列島改造論の時期と80年代末のバブルの時期に、一時的に貧乏ではなかった時期もある。
しかし、それ以外はずっと貧乏だった。お小遣いがもらえていたのは、小学校の2年生までだった。
以降は、子供ながら自力でお金を得ていた(ジュースの瓶を拾ったり、捨ててある本を古本屋にもっていったり)。
親から「高校には行かせられない。中学を卒業したら働いてくれ。」「どうしても行きたいなら、公立高校にしてくれ。そしてアルバイトをしてくれ。」と言われていた。
受験に失敗するわけには行かないので、自分の学力よりも明らかに低い高校を選んで受験し、通うようになった。
多くの公立高校がそうであるように、私が通っていた高校もアルバイトは禁止だったが、親との約束もあり隠れてアルバイトをしていた。
後に、バブル景気が始まり、高校卒業時は「進学しても良い」と親が言うようになる。

今は、そこそこの生活ができている。
子供の頃の終わりのない貧乏生活を思えば、多少の辛さは乗り越えられる。
さらに、その終わりの無い困難の中で、学んだことがある。

我慢では、終わりのない困難を乗り越えられない。
困難を受け入れて、それと共に生活を組み立てる。
常に我慢しないで、時々うまいものを食べたり遊んだり、また文化的な生活も忘れてはいけないし、自分を律して、規則正しく、礼儀正しくもあるべきだ。
できないことをしろとは言わない。月に1回は美味しいものを食べるために、お金を溜めておいて、少しだけ贅沢な事をする。
ひたすら我慢ばかりしていると、精神的にもたない。時々楽しむことで、頑張れる。自分を律することもできる。
8年前に書いたこの記事にもそんなことを書いた。
「新型コロにゃんウイルス」に、「持続可能な方法を手に入れよう」と書いたのは、そういう意味がある。