2013年1月29日火曜日

出費がかさむ

何だかんだで、今月は出費がかさんだ。
年末年始をCebuで過ごしたというのも原因の1つだろう。
毎月恒例の保存食はいいとしても、自宅で贅沢な食べ物ばかりを食べたせいもある。
しかしなにより、余計な買い物が多いためだ。

くだらない物を作るための部品や材料を数万円分購入している。
例の逆アセンブラ・ラインアセンブラと、タイマ1つで3重和音を鳴らすためのH/Wを作るためだ。
それと、スマホの台を作るための材料もそうだ。
物を作るのはいいが、程々にしよう。

2013年1月23日水曜日

食生活

インフルエンザになったとき、うまいもん(豚カツとカキフライ)を食べて多少回復した。
インフルエンザになった原因が、普段まずいもんばかり食べていたせいかもしれないと考え、先週末からもう少しマシなものを食べるようにしている。

先週の日曜日にタジン鍋を買ってきた。
ブームもすぎて、安売りしていたのだ。買ったはいいが、どうしたものか。
TVで見たとき、現地のおばちゃんが野菜をたっぷり盛り付けて蓋をして、火にかけていた。
そんな感じで使えば良いのだろう。

昨夜、暖かだったので、近所のスーパーへ行って、夕飯のおかずをいくつか買った。
(ちなみに、昨日と今日の朝は「ままかり」と「生野菜セット」) そのとき、ネギ、野菜炒めの野菜セット、ミックスベジタブル、豆腐も買ってきた。
全部で500円相当だ。一食にしては高すぎる。通常の5倍の経費がかかっている。 ネギ、野菜、ミックスベジタブルはまだ残っているので、半分としてもずいぶん高額だ。 これら適当に盛り付けて、上から鰹節の粉、鶏ガラスープの粉、こしょう、唐辛子、麺つゆ、ナンプラーをブッかけて、ガス台の上に。
こんなんでうまく行くのかなと思いながら、3分放置する。
蓋をとってみると、野菜と豆腐から水が出ており、鍋料理のようになっていた。うまそうな匂いもする。
豆腐をあまり小さく切っていなかったので、さらに3分ぐらい放置して完成。
どんぶり飯の上に、全部かけて食べてみた。

さすが金をかけただけあって、うまい。

体力が本調子になるまでは、こんな感じで贅沢をしよう。

2013年1月22日火曜日

なんだこの暖かさは!?

帰宅途中、ウチの近所の駅で電車を降りると暖かかった。
外の気温が10℃ぐらいに感じた。
電車の下からの熱気のためかとも思ったが、ホームを歩いているときも、改札を通る時も暖かかった。

帰宅後、自宅に入ると普通この季節なら、少し暖かいはずが、部屋の中の方がむしろ寒い。
部屋の温度計を見ると12℃。やはり暖かいのだ。

もう何年も暖房を使っていない。当然、今日も使っていない。
部屋が暖かいのは、コンクリートが太陽光で温められて少しの期間熱を保持してくれるのと、集合住宅なので上下左右、隣近所の熱が伝わってくるためだ。
そのため、外よりも部屋の中の方が+5℃ほど暖かい。
(風がないので、体感温度の差はもっと大きい)
WeatherNewsの実況天気で気温を確認すると、7.4℃となっている。そのまんまだ。
不思議に思い、グラフを見ると
やっぱり、昨日よりも明らかに暖かい。
昨日の室温が今日の外の気温と言う感じだ。

2013年1月20日日曜日

体力落ちてるな

インフルエンザから回復して、昨日で3日め。

携帯(スマホ)でTVを見るための台を作ろうと、ホームセンターに行った。
インフルの熱が下がった後でもしばらくは横になっているのが良い。眠ろうとしてもなかなか眠れないので、TVでも見るかと思うが、スマホで見ようとすると結構扱いにくい。何かに立てかけてもすぐに倒れてしまう。
というわけで、自分で台を作ろうと考えて、材料や部品を見に行った。

多少話は変わるが、テレビにOFFタイマが無いって、どういうことだ!!
ガラケーにはついていたのに。

歩いていると、すぐに疲れる。
呼吸器の病気だし、酸素の吸収量が落ちているのだろう。もう少し療治が必要だろう。

2013年1月17日木曜日

インフルエンザ感染

先週末、友人の娘が歌手デビューすると聞いたので、それを見に秋葉原へ行った。
不特定多数の人間が集まる場所だ。おそらくその時に感染したのだろう。

月曜日(1/14)、ドカ雪だったので外へは出かけていない。
雪景色を撮影したり、ブログを書いたりしているとき、少し寒気がして咳が出はじめた。

火曜日(1/15)、少し咳がでる程度でたいしたことはないと思いながら、いつものとおり職場へ。
席についたとき、腰が痛くなっていた。
そう考えて、あちこち調べると、肘も痛い。首脇のリンパ節をさわるとまだ腫れてはいない。
この時点では、まだ何とも言えないが、年度末の忙しい時期である。もしインフルエンザだった場合、大迷惑だ。

12時まで仕事をして、早退した。
少し熱っぽいが、食欲はある。高熱がでる前に(この時点では高熱になるかどうかはわからない)栄養のあるものをたくさん食べておいた方がいい。
医者へ行く前に、豚カツ屋に入り、ロースカツ定食+カキフライを注文した。
ごはん、みそ汁、キャベツおかわり自由なので、ごはんx2、みそ汁x1をおかわりした。
普段、まずいものしか食べていないためだろう。全身に力がみなぎる感じがする。
寒気も吹き飛び、関節の痛みもない。その状態で、病院へ。

受付で「風邪を引いたようです。インフルエンザかもしれません。腰が痛く、微熱がありました。今はどちらも落ち着いています」と元気に話すと、「まず、マスクを買って着用してください。もしインフルエンザなら、この待合室には居られません。熱を測ってください。それとこのアンケートに記入を。」と言われ、体温計とアンケート用紙を渡される。
歩いてきたので汗をかいており、脇の下は濡れていてひんやりしている。正確に測るには時間がかかるはずだ。
しかし、アンケートを書いた時点で受付の人は「体温計も、もう大丈夫です。」と言って出すようにいう。
出して見ると、36.1℃。自分としては(多くのプログラマとしては)微熱だが、平熱に見える。

実は、歌手でビューする知人の娘のブログを見ると、その2~3日前にインフルエンザにかかっており、そこから(あるいはその近辺から)の感染と考えられるが、アンケート用紙には、それを書くような項目がない。
近親者でなければ、深い関係でもない。握手はしたが、濃厚な接触もなかった。

しばらく待って、先生による問診へ。
豚カツパワーがまだ持続しており、健康そのもので先生に見てもらう。
書類上、全く悪いところは見られず、問診でも健康そのもの。
「感染しているか調べてください。年度末なんで仕事をしないといけないが、仲間に伝染す分けにもいかない。ただの風邪なら無理してでも仕事をするけど、インフルエンザならしばらく休む。」
とはなすと、
「検査してみましょう。だだし、重篤な症状がでているときでないと出ないので、今調べても何も出ないかもしれませんよ。それでも良いですか?」

少し考えた。
今、調べて問題がないことがわかれば、今日の午前中の職場で、回りに伝染していない可能性が高まる。まわりも俺も安心感を得られる。
やっておいた方がいいだろう。検査をお願いした。

結果は「陰性」。インフルエンザをまわりに広めていない。なんとか個人的封じ込めに成功した。
先生曰く、「感染していないわけではありません。高熱がでたら、薬を出しておきますので、飲んでください。そのときまた来てください。」

医者から帰るときに、熱が出始める。途中で体温計を購入。
豚カツパワーも限界だ。もって6時間。普通に4時間ぐらいしかもたない。
体温が上がると、食欲が落ちる。夕方18時にはヘロヘロ。
しばらく我慢して布団に入っている。薬を飲めば楽になるだろうけど、食欲がない。

ごはんを食わないで、薬を飲むのはダメだろう。 22時ごろ限界を感じ、これ以上放置したら食事の準備も困難なことになると思い、起きる。
冷凍ごはんを解凍して、水浸しにしてレンジで20分。
ヘロヘロの時、ガスを使うのは危険だ。うっかりすると、火をつけっぱなしで、寝てしまう可能性がある。
冷凍ごはんがお粥になる。それを食べて、薬を飲む。

薬を飲むと、熱が下がり楽になる。
改めて薬の説明を読むと、解熱剤は「カロナール」というやつだ。これはデング熱に感染した時にも処方された解熱剤だ。この薬、良い薬なのだが、不健康行為大好き人間の私は薬物の分解が速く、6時間もたない。
デング熱のときには、1.5倍処方してもらっていた。
今回は、他の薬も処方されているから、我慢しよう。

翌朝(1/16)。薬も切れて最悪のコンディション。熱を測ると39.5℃。
職場に携帯から「休みます」メールを入れる。スマホは使いにくい。
ガラケーだったら簡単なのに、横になって使うと画面がくるくるまわったりして、それが操作ミスを生み、リカバリするつもりが更なる操作ミスになり、うっかり全部消してしまったりしながら、なんとかメールする。
この高熱の状態で、こんな面倒な機械を使うべきではなかった。

食欲が全くないが、薬が効けば良くなることはわかっている。なんてったって天下御免のカロナール様だ。
本来は、食事の後に薬なのだが、薬を飲まなければ食事ができないので、水を大量に飲んで、薬をのみ、さらに水を飲む。(過去デングのときに「最悪、それでもいい」と教えてもらっていた。) 少し待つと、熱が下がり食事をする。
薬が効いている期間でも、頭がボーッとして、立ち上がるとふらふらである。「熱が出たら再度病院」という話だったが、こんな状態では病院へはいけない。近所のコンビニも無理だ。
その日は、そんな感じで一応3食とりながら、一日中寝て過ごす。
悪夢を見る。ビートたけしが出てきて、やくざ者との抗争に巻き込まれ、どういうわけかソースコードを修正して、問題を解決しようとするが、結局別の問題が生じて解決にはならないというような内容だった。
変な悪夢だった。

今日(1/17)、目が覚めるとだいぶ調子が良い。
回復してきたのだろう。咳や鼻水がでるが、熱は下がってきた。
計ると、38.1℃。食事をして、薬を飲むとかなり楽になる。
「高熱がでたら」という約束だったので、昼食後に再度病院へ。薬が効いているのでかなり楽だ。

受付で症状を話すと、即隔離。外のプレバブへ案内される。
検査をすると、結果は陽性。
先生も恐る恐る近づいてくる。先生いわく「しかし、熱が無いのはなぜだろう?薬が効いているのかな?」と話していた。
どうも、この短期間で回復してしまうのが信じられないようだ。
先生には話さなかったが、私は怪我も病気も治りやすい。
数年前、ダイビングの際に海岸で貝がらを踏んづけて、足の土踏まずの部分を切った。傷口はやや深く肉の部分にまで達しており、血がだらだらと出ていた。しかし、3日後には厚い皮はつながっていないものの、傷口が塞がり、痛みもほぼなくなっていた。それを見た知人は、「こんな短い期間で傷口がふさがるわけないじゃないか。元々浅かったんだろ?」と話していた。普通の人はそうだろう。しかし私は治るのだ。
デング熱もそうだ。
平均の半分ぐらいの期間で熱が下がり、大事をみて1日余計に入院したが、合計3日で退院した。
おそらく、武家の血のおかげだろう。何百年も殺し合いをする家の者は、怪我や病気からの回復力が違う。豊臣秀吉の時代以降から明治まで、身分制度で武家は武家の間で子孫を作ってきた。その際に死なない遺伝子が濃縮され、それを引き継いだ。ご先祖樣様である。

明日は様子見で仕事はしない。
自分は回復の途上であるが、検査で陽性がでているので、他の人に伝染す可能性は高い。
年度末の折、仲間たちに伝染すのはヤバいだろう。
月曜日には完全に回復していると思われるので、それまでは職場へは行かないようにする。

2013年1月14日月曜日

ドカ雪

最近はドカ雪ってもたいしたことは無かったが、今年のは違う。
ついでに動画。

年末年始をCebuで過ごした。#3

動画もいくつか撮影したが、いいのがあまり無かった。
YouTubeに置いて、YouTubeエディタで編集した。
サルパ、イワシ、カツオの順に入っている。 便利な世の中になったものだ。

2013年1月11日金曜日

年末年始をCebuで過ごした。#2

今回の旅行は、12/27から翌年1/6まで。
12/27は、台湾で一泊して、28日午後に現地入り。
1/6は帰りの移動日なので、12/29~1/5までの8日間のダイビング。

高い飛行機代と、長い移動時間をかけて来たので、元をとるにはたくさん潜るのがよい。
基本的にオプショナルのエクストラダイビングをつけて、1日3本潜った。
9月に潜った時に、長いクラゲ状の謎の生命体を発見していたが、今回はさらにたくさん見た。
モアルボアルとヒルトガンで見た。すなわち、セブの裏と表の両方だ。大量発生しているように感じた。
サルパという生き物らしい。
上の写真では、小さな樽状の生き物がたくさんつながったような形をしているが、それぞれ単独でも存在できるらしい。
英語版Wikipediaに詳しくかかれていた。 赤道付近で多く目撃されるが、南氷洋でしばしば大量発生するそうだ。まれにオキアミの量をしのぐらしい。
ライフサイクルは複雑で、単独では単為生殖で自分のクローンを作り、写真のようなチェーン状のつながった子供を生む。数十から数百の個体がつながっている。
連続的に変化する雌雄同体(クマノミやキンギョハナダイなどのように)で、初めは雌として成長し、続いて雄になる(そういった意味ではキンギョハナダイにより似ている)。
チェーンの親側(おそらく、チェーンはしばらく親につながっているのだろう)から、雄の生物配偶子を受け取って受精する。その後、順々に雄化して隣に生物配偶子を渡していくようだ。(結局、単為生殖しているような…)
成長、増殖が速いため、食料が豊富なら爆発的にその数を増加させ、海洋の炭素循環や地球の気候変動に影響を与えるほどだという。

なんかすごい話だが、人類も70億人を突破し、まだまだ増殖している。
人類の生活も、地球の気候変動に影響を与えている。
あまり文句はいえないな。

2013年1月10日木曜日

年末年始をCebuで過ごした。#1

今年は飛行機代が高く、行くのをやめようかとも思ったが、9月に行ったときに現地スタッフに「12月にプレゼントを持ってくるよ。」と行ってしまった手前、行かない分けにはいかぬ。

ひいきの旅行代理店に相談したら、中華航空(台湾)のビジネスクラスをとってくれた。
ただし、マニラまで。そこから先は自分で調達しなければならない。
Domesticは、Cebu Pacificにしようかと思っていたが、中華航空のE-Ticketが確定したのが、出発の前々日。
ここまで引っ張ってしまったので、無理な事をせずにマニラでTicket現地調達作戦に腹を決め、その日を迎えた。

成田のラウンジ(ビジネスだから使える)でエージェントに電話にて、Check-in完了を告げると「ところで、国内線はどうするの?」と聞いてきた。
「マニラのTerminal2のPR(Pilippine air)の事務所で、調達するつもりです。」と答えると、
「行きは無理だけど、帰りは入れておいてやるよ。」といって、しばらくmailでやりとり。
フィリピン国内線のe-ticket予約番号を入手した。ついでに、行きの飛行機の便名も教えてくれた。
メモ紙に"Resevation No. XXXXX, Add PR### or PR###, Departure HH:MM, HH:MM" とメモをした。 (このメモは後で使うことになる) 相手はプロの旅行業者なので、タダで動いてもらうわけには行かない。何か欲しいものがあるか確認するmailを入れると、「何の事?」的なmailが返ってきた。
mailではラチがあかないので、電話で「プロに動いてもらって、タダはないでしょ。何かお土産を買ってくるから何が良い?今なら成田でも買えるよ。」と聞くと、「ピルセンの缶をガイサノで買ってきて」と言われた。
(え!?それだけ?)とも思ったが、本人が望んでいるなら、「わかりました!」と答えて快諾した。
続いて、成田から現地のShopに電話で連絡をしようとしたが、つながらなかった。
フィリピンの電話事情は悪い。こういうこともよくあることだ。
そのまま搭乗して、とりあえず台北まで。

中華航空は、すごくサービスがよかった。
何だかんだで、台北へ到着。
台北から、フィリピンのShopに電話をすると、今度はつながった。
台北で一泊して、明日マニラに行き、そこでTicketを購入した後、到着時刻と正式なダイビング申し込みをすると話した。
ここまできて、後戻りはかなりいやだ。

明朝、台北からマニラへ。
なんと、中華航空の台湾-フィリピン便だと言うのに、日本語がわかる客室乗務員が何人かいる。
PRのエコノミーよりも安い値段で、ビジネスクラスに乗れた(今年のPRの値段が高すぎ)だけでもすごいが、さらにPRよりもサービスが良く、機内食も美味しい。
素晴らしすぎるぞ中華航空! 台湾万歳!!

などと思っている間に、マニラ到着。
昨日の電話の不通もあったので、到着直後に確認のため、Shopに電話をする。
つながったので、Ticket購入後、再度電話すると話しておいた。
さて、ここから第一関門だ。
Terminal2へ移動して、PRのチケット購入カウンタへ向かう。
結構待っている人がいたが、成田で書いておいたメモ紙と日本国のパスポートを見せた。
日本のパスポートは、途上国では強い力をもつ。またメモ紙には飛行機の出発時刻もそれとわかるように書いておいたのだった。「急いでいるんだ」というアピールをして、少し小遣いを渡そうとしたが、受け取らなかった。
その努力もあってか、割り込む形でTicket購入。
やや高かった(マニラ-セブ往復8,000ペソ)のが残念だが、円安前に変えておいたペソがだいぶたまっていたので、現時点のレートよりも安く買えたと考えることにした。(安部政権になって円安ぎみだ)

チケット購入後、Check-inして出発フロアのV型の頂点部分にある喫茶店で、やっとタバコを吸いながらShopへ電話した。到着時刻を伝えるとともに、空港ーホテルの送迎を頼んだ。

電話をしているときに、フィリピンなまりの日本語で「すいません。ライターを貸してください。」と話しかけられた。若いフィリピン人のようだった。
電話が終わると、「ハポン語うまいナ、イカウ」と日本語+ビサヤ語の混合語で話しかけた。
「フィリピンの言葉がわかるのですか?」と聞かれたので「Bisaya lang. gamai lang.(ビサヤだけ。少しだけ)」と答えると、「僕もビサヤです。Davaoです。」と話してきた。
しばらくその若者と会話を楽しんだ。
日本で重機のオペレータの修行をして、今は中東の高層ビル建設現場で働いているそうだ。
フィリピン人、ちゃらんぽらんな奴も多いが、勤勉で真面目で有能な奴もいる。
おそらく、様々な国で出稼ぎをし、様々な国の人々がフィリピンに遊びにきているので、様々な血が混ざることになる。特に海に囲まれた国なので、入国は基本的に飛行機であり、高い金を出して入国してくるような人は、それなりに成功している人だろう(目的が何であれ)。
そのような成功者の血が入った人が有能であろう事は想像に難くない。

現時点では国家体制がめちゃくちゃだが、近い将来、彼らのような有能な人間がフィリピンを立て直すことになることだろう。

現地ダイビングスタッフも勤勉で真面目だ。より一層の活躍、活力のために、今回プレゼント(日清 Sea food noodle 20個入り3箱)を持っていくのだ。
私は大柄だが、約20Kgのダイビング機材とカップヌードル3箱を運ぶのは、結構辛い。
しかし、彼らが喜んでくれるなら、それも苦ではない(と言う風になるべく考える)。

なんだかんだで、現地入り。
Shopのオーナーには、クラゲ薬こと、ミチゲータを持っていった。女性は肌が綺麗でないと。

何だかんだで、またもや細かく書きすぎた。
明日以降、続きを書くことにする。 つづく