2020年5月10日日曜日

見えない作業への評価

自宅で仕事をすることが、20年前頃から時々ある。

1人で生きていかなければならないため、リスクマネジメントは重要だ。
私は、商才に恵まれた家系に生まれながら商才がなく(すなわちバカ息子)、技術の道に進んだ。
(親父の失敗を見て、商売で身を立てる道を避けたというのもある)
商才はないのだが、いつも偶然に危機を避けてきている。危機に対する直感が働く。
3.11の時も、その日は偶然に自宅近くにいた。
去年、感染症が気になって、お客さんと話したりもしていた(笑われたけど)。

モノを作っていても、危機はある。
「未知の危機」に対して指摘をしても、経験がないと「そんなことあるわけない」となって、無視されてしまう。
実際に、実体化、問題化したときには、損害となる。
「だから言ったじゃん」と言っても問題が解決されるわけではない。というわけで、いつも最大限の努力をして解決する。
実害を最小限にしているので、周りから評価されることは少ない。
それどころか、大げさに言っているとか、自分で問題を作ったみたいに言われることすらある。
全く話にならないと感じたのは、私が事前に言っておいたのに、そのお客さんから「あなたは、そういう意味では言ってなかった。」と言われたときだ。こっちは、そういう意味で言っていたのに、そういう意味として聞かなかっただけなのに。

特に、事前にヤバそうな部分を徹底的に習得しておいたり、リスクを最小化する手法を選んでおいたりして、完全に危機を回避してしまっている場合、全く評価されない。
おそらく、傍から見ているとあっさりと終わらせているので、「簡単な仕事をした」「楽な事しかしていない」みたい思われるだろう。
場合によると、それらはマイナスの評価となる。

もの凄くうまくやれているのに、なんかおかしい。

逆に「仕事をしないほうが出世する」という言葉もある。
どんな作業であれ、神様じゃないんだから失敗はあるものだ(私はおっちょこちょいなので、細かい失敗は山のようにある)。
失敗は見えやすい。そのため、マイナスの評価は増えやすいのだ。
だから、そのような言葉が生まれたのだろう。

仕事を簡単にあっさりと終わらせた事を、それらと一緒にしてはいけない。
間違いなく何かをやっているし、結果を残している。
他に例がないのに、あっさり終わらせていたとしたら、それはすごいことだ。

ながびく緊急事態宣言のため、景気の低迷が指摘され始めた。
ウチは、線路沿いにあり、居ながらにして電車の混み具合がある程度解る。
ゴールデンウイーク明けから、電車が混んでいる。
いつ解雇されるかわからない状態。
「自分は仕事をしているアピール」をするためだけに、職場に向かう人も多いらしい。

正しい評価システムが無い。そう思っている人が少なくはないから「アピール」をする人もいるのだ。
社会主義は、怠けていても食っていけるということで、廃れていった。
だからといって、監視を強めれば閉鎖的な社会となり、活気が失われて、さらに廃れる。

コロナウイルス後の新しい世界は、仕事に対する評価が正当に行われる世界かもしれない。
どうすれば良いのかは、誰にもわからない。
少なくとも今は。

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