子供の頃から30才ぐらいまでは、基本的にずっと貧乏だった。
親が建設会社を経営していたため、田中角栄の列島改造論の時期と80年代末のバブルの時期に、一時的に貧乏ではなかった時期もある。
しかし、それ以外はずっと貧乏だった。お小遣いがもらえていたのは、小学校の2年生までだった。
以降は、子供ながら自力でお金を得ていた(ジュースの瓶を拾ったり、捨ててある本を古本屋にもっていったり)。
親から「高校には行かせられない。中学を卒業したら働いてくれ。」「どうしても行きたいなら、公立高校にしてくれ。そしてアルバイトをしてくれ。」と言われていた。
受験に失敗するわけには行かないので、自分の学力よりも明らかに低い高校を選んで受験し、通うようになった。
多くの公立高校がそうであるように、私が通っていた高校もアルバイトは禁止だったが、親との約束もあり隠れてアルバイトをしていた。
後に、バブル景気が始まり、高校卒業時は「進学しても良い」と親が言うようになる。
今は、そこそこの生活ができている。
子供の頃の終わりのない貧乏生活を思えば、多少の辛さは乗り越えられる。
さらに、その終わりの無い困難の中で、学んだことがある。
我慢では、終わりのない困難を乗り越えられない。
困難を受け入れて、それと共に生活を組み立てる。
常に我慢しないで、時々うまいものを食べたり遊んだり、また文化的な生活も忘れてはいけないし、自分を律して、規則正しく、礼儀正しくもあるべきだ。
できないことをしろとは言わない。月に1回は美味しいものを食べるために、お金を溜めておいて、少しだけ贅沢な事をする。
ひたすら我慢ばかりしていると、精神的にもたない。時々楽しむことで、頑張れる。自分を律することもできる。
8年前に書いたこの記事にもそんなことを書いた。
「新型コロにゃんウイルス」に、「持続可能な方法を手に入れよう」と書いたのは、そういう意味がある。
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