It's meow, and is it meow in the year of the cat?を、google翻訳で逆に日本語に再翻訳すると
ニャンニャン、ねこ年ニャン?すばらしい訳だが、ネコなまりが強すぎて日本語になっていないように思う。
自分で訳すなら、
にゃーだ、ネコ年にはにゃーだって?かな。とにかくだいぶ元の意味と違っていると感じる。
英語のネコなまりとして訳すことができればいいのだが、そんなのあるのか?
ということで、「ネコ語 英語」検索してみると、いろいろ出てくる。
基本的には"Cat"や"Kitty"を、あるいはネコのもふもふ感を連想させるような駄洒落ぽい言葉だったり、 Fantastic(ファンタスティック)をCatasticとしたり、良い意味の単語の一部をCatに置き換えている。
ネコが話すなら、ネコを尊重するだろうと言う考えが根底にあるように感じる。
(Catasticって書くと、Catastrophy=大惨事 を連想してしまうのだが、そのギャップが良いのかな?)
ヨーロッパは言葉が違う地域が隣接しており、言葉が通じない者が自身のアイデンティティを尊重するため、そのような言い換えが多いのかも。
ネコ語をつくる場合でも、同じような発想になるのかもしれない。
日本語でのネコ語は、どっちかというと「ネコなまり」だ。
島国なので外国語との接触は少ない。また、南北に長く環境も多様であり、国内でのなまりがきつくなった。
徳川幕府の参勤交代で、文化が集約+拡散されるため、日本語であることは維持されるが、イントネーションや語尾が地域ごとに変化している。
言葉に対するその発想で、ネコ語を作る時、発音をネコっぽくしたり、語尾を「にゃー」にするのだろう。
また「虫の声」を、ヨーロッパでは「音」としか感じないらしい。
日本人が「声がする」というと、ヨーロッパ系の人は「?」となると聞いたことがある。
『ネコが「にゃーにゃー」話す』と感じるのは、日本固有とまでは言わないが、全世界共通の感覚ではないと考えるべきなのかも。
話さないなら、「なまり」という発想もないだろう。
この感覚まで訳すのは、難しだろうな。
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